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スタッフ&キャスト別データ

ダグラス・トランブル Douglas Trumbull

  解  説■ 1942年、ロサンゼルス生まれ。
イングルウッドのモーニングサイド高校を卒業、カルフォルニアのエル・カミノ大学で建築デザインを学び、フリーのテクニカル・イラストレーターとなる。
NASAのアニメーションの背景を担当した後、1964年のワールド・フェアーのために短篇『月とその彼方への旅』を製作。
1968年、SF映画のモニュメントとなった『2001年宇宙の旅』で特殊効果を共同担当して映画界にデビュー。
空軍やNASAの教育映画向けに背景画やアニメーションを描いていたグラフィック・フィルムズ・コーポレーションで『2001年宇宙の旅』の予備的なコンセプトやイラストを描いており、監督のスタンリー・キューブリックがスタッフをニューヨークからイギリスに移した際に、自ら志願して単身映画スタッフに加わった。当初こそイラストレーターではあったが映画に関わりながら数々のアイデアを出し、いくつかのモーション・コントロール・システムを考案、結果ほとんどの特撮シーンに関わっていった。
本作はアカデミー賞特殊効果賞を受賞したが、特殊視覚効果マンにトランブルを含む4名がクレジットされていた。当時のアカデミー協会は1つの賞にオスカーは3つしか認められないと主張、全特殊効果の考案と監督をしたキューブリックが1人でオスカーを受け取った。
未知との遭遇』ではマザーシップをクリエイト。
1979年フューチャー・ゼネラル・コーポレーションを設立、ハイスピードによる高解像度映像システム“ショウスキャン”を、父親のドン・トランブルと共に開発した。このシステムは日本の「つくば博覧会」で東芝館が採用、現在ではテーマパーク、ユニヴァーサル・スタジオ内のモーションライド・アトラクション「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ライド」で観ることができる。
79年の『スター・トレック』には途中から参加、当初ロバート・エイブルが制作したエンタープライズ号のミニチュアを大幅改修して撮影に臨んだ。
その後特撮スタジオEEG(エンターテイメント・エフェクツ・グループ)をリチャード・ユーリチッヒと共に組織。
インダストリアル・ライト&マジック社設立のメンバーであるジョン・ダイクストラリチャード・エドランドをはじめ、彼のもとで育ったSFXマンは数多い。
サイレント・ランニング』『ブレインストーム』は自らが監督を努めた作品。
『サイレント・ランニング』に登場する小型ロボット「メンテナンス・ドローン」は現在もファンの人気が高く、『スター・ウォーズ』のR2-D2の原型と言われている。
『ブレインストーム』は35mmパナビジョンと70mmワイド・プロセスであるスーパー・パナビジョンを併用した初の作品で、高解像度による迫力ある画面は劇場でしか判らない。当初はショウスキャンによる撮影・劇場公開を目論んでいたが、コストが合わず断念した。
最近作の『In Search of the Obelisk』はラスベガスのルクソールホテルに常設されているIMAX映像アトラクション(4分)。本編よりもプレショウである「構内エレベーターの映像」に迫力がある。
 
作  品『2001年宇宙の旅』(1968 : Special Photographic Effects Supervisor)
『アンドロメダ・・・』(1971 : Special Effects)
『サイレント・ランニング』(1972 : Producer, Director, Special Effects)
『未知との遭遇』(1977 : Special Photographic Effects)
『スター・トレック』(1979 : Special Photographic Effects Director)
『ブレードランナー』(1982 : special photographic effects supervisor)
『ブレインストーム』(1983 : Producer, Director)
『Leonardo's Dream』(1989 : Director)
『Back to the Future... The Ride』(1991 : Director)
『In Search of the Obelisk』(1993 : Producer, Director)


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