東 叡 社 の 歴 史
上野時代(1955〜1966)
東叡社が設立されたのは、1955(昭和30)年で当時の住所は台東区豊住9。現在の住所でいうと台東区上野7-13あたりですが、首都高工事によって立ち退いているので実際の店舗の場所は現在の昭和通の上になると思われます。
創業者の打保梅冶は、外国製スポーツ車の研究に熱心であったと同時に、技術者としても非常なアイデアマンであり、今日に至る東叡社オリジナル工作やオリジナルパーツの礎を築いた人物でもあります。
数々のアイデアのなかでも一風変わっているのは東叡社オリジナ
ルのフレーム製作冶具です。自転車のみならず、製作冶具にまでアイデアを巡らすとは、自転車製作にたいする情熱が並々ならぬものであったことをうかがわせます。残念ながら冶具そのものは現存しませんが、冶具につけられていた銘板は現在も東叡社に残されています。

町屋時代(1966〜1976)
1966(昭和41)年、首都高速1号線の建設工事に伴い立ち退きを余儀なくされた東叡社は、工房を荒川区町屋に移転しました。昔ながらの街並みが多く残るこの地には、大通りから1本入った裏通りにある東叡社の工房が住所もそのままに現存しています。歴代東叡社工房のなかで、唯一現存している、そして当時の雰囲気を一番色濃く残しているのが町屋です。
この頃は、上野工房の時に比べ、日本のサイクリング事情が変化し始めた時代です。外国製の部品が容易に入手可能になったうえに、サイクリングブームが到来していたこともあり、オーダーが大幅増加。その注文数は、スタンダードフレームだけで毎月数100本にのぼった為、製作が間に合わず連日の残業。それでも全てはさばききれず、TOEIマークの入ったフルオーダー車の製作には何ヶ月もかかっていました。

浦和時代(1976〜2003)
1976(昭和51)年、東叡社は浦和に自社工房を造り町屋から移転してきました。この工房は2階建てで、1階には広めの作業場とショールームを兼ねた事務所スペースがありました。2階はいくつかの部屋に分かれており、完成当時は職人達が寝泊りをしていました。後年は、食事や休憩に使われた1部屋を除いては預かりの自転車保管や部品倉庫として使用されていました。
浦和の工房は約27年、東叡社として最も永きに渡り最近まで営業していたため、各時代を通じて最も多くの人が訪れた工房です。この工房では、自転車を取り巻く環境が大きく変化してきたこともあり、オールドパーツを使用したオールドスタイルのツーリング車はもちろん、デュアルコントロールレバー等の今手に入る最新のパーツを使用しながらも“ドロヨケ” がついた最新のスポーツ車の製作も手がけるようになっていきました。

川口時代(2003〜現在)
現在の工房がある川口には、2003(平成15)年の11月に移転しました。川口は昔から「キューポラのある街」として、東叡社がフレーム材料としてこだわりつづける「鉄」にとてもゆかりのある街です。また、工房の近くを流れる川にはサイクリングロードもあり、自転車を乗るにもよい環境です。
先代社長の引退に伴い、現在は3名の職人達によって新しいトーエイが日々製作されています。まもなく創業50周年を迎えようとしている、また新世紀になり、工房、体制ともに新たになった東叡社。
時代が、そして自転車を取り巻く環境が様々に移り変わる中、一貫
して鉄フレームを使用したスポーツ車を作りつづける。鉄という素材にこだわり、そして鉄の特性を知り抜いた東叡社は、時代の変化に対応しつつも、こだわりを守りつづけてこれからもTOEIのフレーム作りをしていきます。



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